【銀座線探偵団】秋葉原の地下に存在する「銀座線萬世橋駅跡」に潜入!

銀座線の秘密を紹介する「銀座線探偵団」。初回は表参道駅に存在する幻のホームに潜入しましたが、第2回は駅そのものが幻とされている萬世橋駅の遺構に潜入します。 銀座線の駅で現在使われていない遺構が残っているのは、新橋駅の「幻のホーム」、表参道駅の「旧表参道駅ホーム」、そしてこの「萬世橋駅跡」の3ヶ所。 「萬世橋駅」といえば、旧国鉄の万世橋駅が知られていますが、そこからほど近い場所に地下鉄の「萬世橋駅」も存在していました。今や世界的に知られるクールジャパンの発信地AKIHABARAの地下には、知られざる昭和初期の歴史が眠っていたのです。

幻の萬世橋駅は......何にもなかった!?

ここは東京・秋葉原電気街の歩道。時間は銀座線の終電後の深夜1時、昼間の人混みがウソのようです。

今回の銀座線探偵団の場所はここからスタート。東京メトロ秋葉原駅からほど近い万世橋交差点の歩道にある地下口へのふた、グレーチングが外され、穴がぽっかりと口をあけました。

なかをのぞいてみると......。

なにやら地下へと続く階段が。これこそが、地下鉄萬世橋駅跡に通じている階段なんだそう。なんだかワクワクしますね。

では、いざ地下へ! 大人2人分ほどの幅の階段を降りていくと......

太い柱が並ぶスペースに到着。

後ろを振り向くと、さっき下ってきた階段があります。

この広さ8畳ほどの踊り場部分が、かつての地下鉄萬世橋駅。当時使っていた看板とか、内装のようなものはいっさいなく、コンクリートの内壁がむき出しになっているだけです。

萬世橋駅跡から見える線路は現役。

ホームが小さい理由とは?

ちょっと線路の上に降りてみましょう

線路側から萬世橋駅跡を正面で見るとこんな感じ。普段は電気を消しているので、電車内から見てみてもほぼわかりません。ただ、こうしてライトを当ててみるとなんとなくプラットホームに見えないこともないような......。

ついに決定的な痕跡を発見! ......と思いきや、この駅名標は以前行われたイベントのために新しくとりつけたもので、当時から残っているものではありません。

写真左部分にさっき立っていた萬世橋駅跡が見えます。ちょうどこの上が、LAOX秋葉原本店とオノデン前の道路と歩道にあたる場所でしょうか。

それにしてもこの萬世橋駅、地下鉄の駅にしてはやや小さめなサイズ感ですが、それもそのはず。地下鉄銀座線がまだ浅草駅から末広町駅までしかなかった頃、神田川を越えて線路を延伸し、神田駅を建設する際、神田川の下を抜けるトンネル工事に時間がかかったため、萬世橋のすぐ近くに仮に設置したのが萬世橋駅でした。

したがって、萬世橋駅は、浅草方面から来た電車が折り返すだけだったため、木製の仮のプラットホームが設置され、乗客はそこから電車に乗降したようです。 当時の図面をみてみると、よくわかります

矢印の部分が、プラットホーム部分。当時は、階段を降りたあと、柱のあるスペースから、そのまま段差を降りることなく木製のプラットホーム部分へ進んで行けたようです。

上から見てみると、こんな感じに。(赤くしたのがプラットホーム部分)

プラットホームが現在と比べて短いのは、この頃の地下鉄が2両編成で運行していたため。この長さで十分だったのです。

険しすぎた神田駅への道のり

神田駅方面へ向かって線路上を歩いてみると、

神田川の真下を示す表示が! つまりここが川底部分。

現在の万世橋は、関東大震災の震災復興事業で架橋されました。そのとき、同時に建設されたのが、地下鉄のトンネル。

銀座線は基本的に「開削工法」という工法で作られています。この工法は道路の上から穴を掘り、箱型のコンクリートでできたトンネルを埋設して埋め戻すという工法です。

しかし、川をそのまま開削するわけにはいきません。そこで取られた施策は、神田川を一時的にせき止め、箱型の樋を川の真ん中に設けて流路とし、その間から川底を開削していくという方法。

しかも驚くべきは、これらの掘削はすべて重機を使わない、人力による手掘り(といってもスコップなどの道具は使いましたが)だったということ。今では考えられないほどの難事業だったのです。

ちょうど神田川の下あたりを支える柱には、「風強い!」の注意書きが。

地下鉄のトンネル内は、空気鉄砲のような仕組みで空気が押し出されて強風が吹くのだとか。そのために取っ手が取り付けられているのです。

では、そろそろ地上へ戻るとしましょう。

普段は地下鉄の通気口として、気に留めるひとはいませんが、実は幻の萬世橋駅につながっていたというわけですね。なんというロマン!

次回の銀座線探偵団をお楽しみに!

【History】 銀座線萬世橋駅は、1930(昭和5)年1月1日から1931(昭和6)年11月21日までのわずか2年足らずの期間、神田川のトンネル工事が終了するまでの仮停車場として、現在の萬世橋の北側に設置された。当時、改札がどのように存在し、実際にどう運用されていたかについては資料があまり残っておらず、不明な点も多いため、まさに「幻の駅」として知る人ぞ知る存在になっている。閉鎖後の現在は、かつての通路は通気口として再利用され、プラットホーム横にあったスペースは資材置き場などに活用されている。

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