渋谷には、語り継ぎたい歴史を持つ店があった。【名店とつくる銀座線ドリーム駅弁】

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書いたひと:下関マグロ
山口県出身。東京都台東区在住。東京の街歩き、食べ歩きなどを中心に執筆活動をしているフリーライター。近著には『歩考力』(ナショナル出版)、『町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう』(立東舎/共著)などがある。

渋谷駅のドリーム駅弁をつくるよ!

駅弁というと、全国各地いろいろな駅で売られているけれど、地下鉄の駅では駅弁を売っていない。というわけで、あるはずのない駅弁をつくっちゃおうっていうのがこの企画。これまで、日本橋新橋浅草京橋神田といった駅のドリーム駅弁をつくってきた。さて、今回は渋谷。3つのお店に協力してもらい、駅弁をつくっていくよ。

この曲げわっぱのなかに、渋谷のおいしいものを詰めこんでいくよ

この曲げわっぱのなかに、渋谷のおいしいものを詰めこんでいくよ

スクランブル交差点を渡ってすぐ、「鰻 渋谷松川 本店」

まず、最初に伺ったのは、渋谷スクランブル交差点を渡ってすぐの場所にあるうなぎ屋、「鰻 渋谷松川 本店」さんだ。

この場所で創業して65年になる「鰻 渋谷松川 本店」

この場所で創業して65年になる「鰻 渋谷松川 本店」

入ったことはなくても「鰻 渋谷松川 本店」の外観を知っているという人は多いかもしれない。

創業は1952(昭和27)年という老舗。迎えてくれたのはこちらの2代目、三田俊介(さんだしゅんすけ)さんだ。

74歳になる2代目、三田俊介さん

74歳になる2代目、三田俊介さん

──こちらのお料理へのこだわりというのはなんでしょうか?

「渋谷の真ん中だけど、立て場があることですかね」

──ほう、立て場とは?

「立て場というのは、うなぎを活かしておく場所ですね。注文があってからさばくので、うちのうなぎは活きがいいんですよ」

────さばかれる職人さんの腕もいいんですよね

「そうだねえ。うなぎの職人は『串打ち三年、割き八年、焼きは一生』といいますからね、難しいもんです」

それでは、職人さんにお料理をつくっていただこう。

うちわをパタパタ、たぶん、あれだ

うちわをパタパタ、たぶん、あれだ

料理ができるまで少々時間がかかる。もう少し三田さんにお話を伺ってみよう。

──2代目は、渋谷生まれなんですか?

「いや、私は大分県の出身なんですよ。結婚して、ここの2代目になったんです」

──結婚されて、渋谷に。その当時から渋谷の街は変わりました?

「そうですね。以前は路面店で商売をしているところが多かったんですよ。それがバブルのころに商売をやめてビルにして、貸してテナント料をとるところが増えましたね。うちみたいに路面店でやってるところは少なくなったねえ」

お、お話を聞いているうちに、3代目の奥様、若女将がお料理を運んできてくれた。

いつもお着物の若女将、三田奈々美さん

いつもお着物の若女将、三田奈々美さん

お料理のいい香りが漂っているよ。中身はちょっと待ってね。三田さん、お話ありがとうございました。

109を"ヘコませた"名店「玉久」

さて、お次にうかがったのは、「玉久」さん。ふだんは取材を受けていらっしゃらないお店なのだが、今回特別にドリーム駅弁に協力してくださった。

1949(昭和24)年に創業の玉久

1949(昭和24)年に創業の玉久

迎えてくれたのは2代目の鎌田久良さん、74歳だ。奇しくも「鰻 渋谷松川 本店」の三田さんと同じ、2代目で74歳。

玉久の窓側のカウンターからは渋谷の雑踏を見渡せる

玉久の窓側のカウンターからは渋谷の雑踏を見渡せる

初代はここでお米屋さんを営んでいたのだけれど、近隣の料理屋さんにお米を納品するうちに、料理屋の様子を見て自分も飲食店をはじめたのだそうだ。いまはビルの8、9階にあるこのお店、かつては木造平屋のお店だった。

当時のお写真があるというので見せてもらった。

木造の玉久

ああ、これこれ。渋谷のちょっとした名物だった。いつも行列が絶えない人気店で、なにより、渋谷109の隣、変形の三角の土地で営業していた。

じつは、109のビルはちょっとへこんでいて、そのへこんでいるところがこの玉久のビル。2代目の久良さんが言うには、109が建つときに、頑固な初代が土地を手放さなかったのだそうだ。

109のビルを上空から見ると、下の地図のようになる。よく見てもらうとわかるのだが、109のビルの上の通りに面した部分が三角形にへこんで、そこに別のビルが建っている。そこに、この平屋の玉久があったのだ。

当時、僕はこのあまりに有名な店の存在を知ってはいたが、自分のような若造はまだ行ける店ではないなと行列に並ぶことはなかった。

2001年に平屋があった土地に玉久ビルが建って、かつての独特な風景は失われてしまったが、その様子は古くから通う常連さんたちに語り継がれている。

──渋谷生まれの渋谷育ちということで、銀座線の思い出ってなにかありますか?

「銀座線というと、上野動物園に行くときに乗ったっていうことですかね」

──そのころと比べて、渋谷は変わりました?

「変わり過ぎちゃいましたね。再開発でさらに変わりつつありますよね。ただ、その再開発をやっているおかげで、うちから銀座線が見えるようになったんですよ。今だけでしょうけれど」

窓に面したカウンターから右の方を見ると...遠くに銀座線の黄色が!

窓に面したカウンターから右の方を見ると...遠くに銀座線の黄色が!

──こちらは、活魚の専門店ということですが、一番人気のメニューはなんでしょうか?

「コチの薄造りですね。おやじがこれをやり出して、店の人気メニューになったんです。夏はさっぱりしてて、冬は脂がのっているんですよ。冬は数が少ないんですけど、なんとか一年中出してます」

そもそも旬のコチは漁獲量が少なく、一般にはなかなか出回らない。正真正銘の高級魚で、「夏はコチ、冬はフグ」という人がいるくらいだ。

「今でも毎朝、河岸には行ってますよ。仕入れ次第でその日の料理も変わります。今回のお弁当の材料もいいものがありましてね、私がいただきたいくらいです(笑)」

料理をしている玉久のご主人

そういえば、こちらのお店、ご主人が毎朝、築地で魚を仕入れてこられる関係で、すべてが時価。

──ご主人、1人いくらぐらいみとけばいいでしょう?

「だいたい、普通に食べて飲んで、6,000円から8,000円ってところでしょうか」

おお。なんだか安心。今度、伺おう。

さて、お料理ができあがったようだ。

玉久のご主人

昭和のたたずまいを残す「鳥竹」

最後に伺ったのは、焼鳥のお店「鳥竹」さん。この店、僕は一時よく訪れていた。知り合いの仕事場が近くにあったからだ。ランチでよく利用していた。焼鳥はもちろん、ご飯や鳥のスープもおいしいので、よく通った。そのうち、夜に仕事関係の人間と飲んだりするのにもよく来た。もう十数年前のことだ。

渋谷の焼き鳥屋、鳥竹の外観

1963(昭和38)年に創業。今も昭和の雰囲気が漂うお店だ。

迎えてくれたのは店主の間島京子さん。

京子さんがお店を継いでから20年ほどになるそうだ

京子さんがお店を継いでから20年ほどになるそうだ

「うちのお店、昔は銀座線の人たちをけっこう燻しちゃってるかもしれないわ、ほら、店のうえあたりに電車の車庫があったでしょう」

確かにそうだ、今は渋谷マークシティの3階が銀座線の車庫になっているのだけど、その前は確かにそこに車庫があった。

──創業されたのはお父様だそうですね。

「そうなんです。そのあと、兄が継いでやってたんですけど、その兄が42歳で突然亡くなってしまって、私がそのあとを継いだんです」

──それが、いつくらいのことなんでしょう?

「20年くらい前ですね。普通の主婦をしていて、まだ子供も小さかったから、大変でした」

──多くの方が働いてらっしゃいますね。どのくらいいらっしゃるんでしょう。

「そうですね、アルバイトも含めると50人になりますね、大所帯ですよ(笑)」

──手書きのメニューが素敵ですね。

「母が書いたんです。もう亡くなったんですけど、92、3歳のころの文字です。それはもう捨てられないし、変えられないから、コピーしてコピーして大事に使っているんです」

──ああ、そうやって継がれていくものがあるんですね。変わらないメニューの札。前によく来てたんですけど、そのころとお値段も変わってないんですね。ちょっと驚いたんです。

「私の代になってから値段は変えてないですね。味もね、変えてないんですよ、初代のころと。タレも継ぎ足し継ぎ足しでやってます」

職人さんに焼いていただいているものは...

職人さんに焼いていただいているものは...

それにしても活気のある店内だ。平日の午後、ランチタイムが終わったあとにうかがったのだけれど、次から次へとお客さんがやってくる。飲みのお客さんが中心だ。16時。まだちょっと早くないかい(笑)?

「皆さんね、仕事が終わって家に帰る前にちょっと寄っていくって方も多いんですよ。仕事場でもない、家でもない、自分が誰でもない場所でホッとして行くのかなって」

仕事場でもない、家でもない。以前、カフェブームが起きたときに、仕事場でも家でもない場所を「サードプレイス」なんて言っていたけど、こういったお店はその元祖と言えるのかもしれないな。

お、お料理ができあがったようだ。

うわぁ、いい香りが漂っている。

うわぁ、いい香りが漂っている。

渋谷駅の駅員さんに食べてもらおう

ご提供いただいたお料理をわっぱに詰めて、いざ渋谷駅へ。できあがったドリーム駅弁を食べていただこう。

食べてもらうのはこちらの2人の駅員さん。

左が山崎浩靖(やまざき ひろやす)さん、右が西城洸輝(さいじょう こうき)さん。山崎さんは入社29年目の助役さん。西城さんは入社3年目の駅係員さんだ。

うん、なんだかたくさん食べていただけるような雰囲気のおふたりだ。

──渋谷駅に勤務してらっしゃるということで、駅の特徴はなにかありますか?

山崎「渋谷は眠らない街ですね。そして、駅としてはターミナル駅ですよね。現在、銀座線渋谷駅をリニューアルしていまして、駅の位置が変わります。表参道駅方向へ、100メートルほど移動します」

──ところで、おふたりは駅弁はお好きですか?

西城「好きですね、これまで食べたものでは仙台の牛タン弁当が印象に残ってます」

山崎「私も好きですね。私は、そこの名物のお弁当ではなく必ずどんな駅でも幕の内弁当を食べるようにしているんですよ。意外と幕の内弁当にその地方の特色が出るんです」

──どこの幕の内弁当がおいしかったですか?

山崎「秋田の幕の内弁当はおいしかったですね。お米が、あきたこまちでね」

──ところで、おなかのすき具合はいかがでしょう。

山崎「すいてます」
西城「ものすごくすいてます。きのうから何も食べていませんから」

──あら、本当ですか? この企画のために、ありがとうございます。

さあ、それではドリーム駅弁をご覧いただこう。

これがおふたりに食べていただく、渋谷駅のドリーム駅弁だ。

左側のゾーンが渋谷松川さんご提供のうなぎ。下にはごはんが敷いてあって、うな重の様相だ。真ん中のゾーンが玉久さんからいただいた、あなごのやわらか煮、甘鯛の西京漬け、山ごぼう、揚げ銀杏、らっきょ、おしんこ、はじかみ(生姜)。右側のゾーンが鳥竹さんご提供の、焼き鳥、つみれ(ピーマンの肉詰め)、唐揚げ。

それでは、おふたりそれぞれ気になったものから、ファーストバイトしていただこう。まずは上司の山崎さんから。

山崎「うなぎ、大好きなんですよ。おいしいですね。これはもしかして、渋谷なら松川さんのうなぎですかね」

おっ、さすが、まだどこのうなぎか言わないうちから!

西城「では、僕はこれいきます」

鳥竹さんのつみれ(ピーマンの肉詰め)だ。

西城「ピーマンの苦いのががダメなんですけれど、これは苦味を感じなくておいしいです」

西城さんの食べっぷりがすさまじく、山崎さんも驚いている。

西城さん、はやくもうなぎを持ち上げる。ご飯のおかわりもありますからね。

西城さん、はやくもうなぎを持ち上げる。ご飯のおかわりもありますからね。

山崎「うーん、ちょっと硬めの松川さんのご飯、おいしいですね。このうなぎのタレがあわさると最高」

──それでは、それぞれお好みのものを教えてください。

山崎「あなごのやわらか煮ですね」

西城「私は、うなぎです。あの、ご飯のおかわりいいですか?」

はい、よろこんでぇ。

渋谷駅の駅弁

黙々と食べる西城さんに山崎さんが、「お前なにかコメント言えよ」。それに応えて、「全身に脂が染みわたりますね」と西城さん。「なんじゃ、そりゃ」とあきれ気味の山崎さん。

渋谷駅の駅弁

あっという間に完食していただいた。ドリーム駅弁史上最速の完食。そしてはじめてのおかわり!

渋谷駅の駅弁

おふたりの食べっぷりの良さに、スタッフ一同感激!
この喜びをお店の方にも伝えたいぞ!

いまや渋谷は「若者の街」として捉えている人が多いかもしれない。だけど一方、渋谷には大人の街の要素もたっぷりあるのだ。これから2022年度までかけて、銀座線渋谷駅は変わってゆく。そのころにはいったいどんな"まち"になっているだろうか。

さて、次はどの駅に行こうか。

取材協力
「鰻 渋谷松川 本店」
東京都渋谷区宇田川町22-1
03-3461-1065

「玉久」
東京都渋谷区道玄坂2-30-4 玉久ビル 8F・9F
03-3461-4803

「鳥竹」
東京都渋谷区道玄坂1-6-1
03-3461-1627

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