【昔の車両写真がたくさん】銀座線の歴史を車両の変遷で追う!【銀座線探偵団】

2017年12月に開通から90周年を迎えた銀座線※。その歴史のなかで、多くの車両が登場し、たくさんのお客様を乗せて東京を走ってきました。今回の銀座線探偵団では、その歴史を主だった車両を中心に一気に振り返ります。

※「銀座線」と呼ばれるようになったのは1953(昭和28)年から

歴史はここからはじまった【1000形-1、1000形-2】

1000形-1は、1927(昭和2)年の上野駅--浅草駅間開通のために、東京地下鐵道が製作した全鋼製車両。デビュー当初から、地下での火災対策として、木製の車体ではなく全鋼製の車体となっています。

車体の塗装はベルリン地下鉄を模範にした明るい黄色、屋根はチョコレート色とされました。

こちらは内装の写真。天井は淡い卵色、内化粧板に桜・チーク・くるみなどの木目を焼き付けました。窓の下部は固定、上部のみ可動とし、乗客の安全に配慮していました。

特徴的なのは吊り手です。写真を見ると、吊り手がななめに下がっているのが見えます。これはリコ式といって、現在の電車に見られるようなぷらぷらと揺れるものではなく、吊り手につかまると鋼の棒に付いたバネが動き、吊り手が下におりてくるというものでした。

さらに、終日暗闇という地下鉄の特殊性を考慮して、照明はすべて間接照明に。暗所で光源が直接目に入るとまぶしい、ということを解消するための工夫でした。

さらにその後1930(昭和5)年、上野駅--萬世橋駅間開通に合わせた増備のために1000形-2がつくられます。内装は1000形-1と変わりませんが、ブレーキ装置や台車などが変えられました。

1000形-1 撮影者:伊藤昭

1000形-2 出典:「営団地下鉄車両2000両突破記念 60年のあゆみ」

1000形-1、2ともに1968(昭和43)年に廃車となりました。

見た目がスッキリと【1100形】

出典:「営団地下鉄車両2000両突破記念 60年のあゆみ」

1932(昭和7)年12月の三越前駅-京橋駅開通後、輸送強化のために翌年4月から製作した車両です。雨どいを取り付け、リベットの数を減らしたために見た目は1000形と比べるとスッキリ。客室照明は半間接照明に変更されました。1000形と同じく1968(昭和43)年に廃車となっています。

連結運転開始のために【1200形】

1934(昭和9)年に浅草駅--新橋駅間が全線開通(当時)となり、2~3両連結運転のために製作された車両です。車体側面に、現在の東京メトロのもととなる、東京地下鐵道の社章が描かれています。運転室をコンパクトにし、客室床面積を大きくする工夫がされた車両で、室内灯は球形グローブを付けた半間接照明が取り付けられました。

東京高速鉄道の車両がデビュー【100形】

現在の東京メトロをかたちづくったもう1社、東京高速鉄道の渋谷駅--新橋駅開通用としてデビューした車両です。車体は丸みを帯びた半流線型、側面に東京高速鉄道の社章があり、車体は窓まわりが渋い黄色、腰板部分が濃緑色のツートンカラーでした。

床は当初木製で、その後モルタルを塗って防火対策としましたが、戦後、亜鉛メッキを施した鋼板に変えられました。客室照明は天井にグローブ状のもの、吊り手は現在馴染みがあるスタイルの吊輪式を採用しました。銀座線を走ったあと、1962(昭和37)年から1968(昭和43)年まで丸ノ内線分岐線で使用したあと廃車となりました。

営団初の新造車両【1300形】

1949(昭和24)年から15両製作された車両で、東京地下鐵道と東京高速鉄道が統合した帝都高速度交通営団としてつくった初の車両です。

この車両の乗務員室は車掌側が折りたたみ式となり、また窓は固定式だった下窓も75mm開閉可能に。外装は赤味の強いオレンジ色、室内は薄緑色としました。室内灯は直接照明、また角型グローブのものとなり、通風口を兼ねた構造に。さらに、扉脇の座席上部に幅700mmの荷棚が設置されました。1986(昭和61)年に廃車となりました。

丸ノ内線開通用の試作車【1400形】

出典:「営団地下鉄車両2000両突破記念 60年のあゆみ」

1954(昭和29)年、丸ノ内線池袋駅--御茶ノ水駅間開通用の試作車として製作された車両で、銀座線で約半年間試運転を行い、運転士の教育などに使われました。屋根を薄くして大型の通風機、送風機を設置。また蛍光灯をはじめて採用しました。

丸ノ内線開通後、上野車両工場(現在の上野検車区)で銀座線用に改造され、1985(昭和60)年まで活躍しました。

単色塗装の車両がデビュー【1500形】

撮影者:堀江光雄

1954(昭和29)年、輸送力増強のために製作した車両です。車体は一色に塗られ、車内の照明は蛍光灯が採用されています。

輸送力増強のために【1600形】

撮影者:巴川享則

1955(昭和30)年の3月から輸送力増強のために製作した車両で、外側の見た目は1500形とおなじでした。その後1600形-2も製作され、屋根を製作の簡単な構造に変更、屋根はインディアンレッドに塗られました。1986(昭和61)年に廃車となりました。

車号表記の字体がニューヨーク地下鉄タイプに【1700形】

出典:「営団地下鉄車両2000両突破記念 60年のあゆみ」

1956(昭和31)年に混雑時の5両編成運転のために製作した車両で、構造的には1600形-2と同様のものです。車号の字体は丸ノ内線で採用されていたニューヨーク地下鉄タイプにしています。1985(昭和61)年に廃車となりました。

ここからドアが両開きに【1800形】

撮影者:巴川享則

1958(昭和33)年、輸送力増強のために製作した車両です。乗降口幅を1100mmから1300mmに広げ、これまで片開きだったドアを両開きとしました。さらに、車両間移動のための扉を引き戸に改修、車両と車両をつなぐ部分にカーテン状の保護装置を取り付けました。

さらに、運転室正面窓内側上部に簡易方向幕を採用し、車内放送装置もはじめて取り付けられました。1985(昭和61)年廃車となりました。

座席上部全面に荷棚がついた【2000形-1・2】

撮影者:岸 孝

1960(昭和35)年2月に、5両編成の運行本数を増やすために増備した車両です。この車両から座席上部前面に荷棚を取り付けました。

6両編成を増やすためにつくられた【2000形-3】

所蔵:地下鉄博物館

1960(昭和35)年2月に、朝ラッシュ時の6両編成の運行本数を増やすために12両増備した車両です。その後1962(昭和37)年3月まで順次増備、合計48両になりました。

ローレル賞も受賞【01系】

1983年(昭和59年)にデビューした車両です。この車両では列車の走行位置表示版が車内に取り付けられています。冷房装置も1990(平成2)年から採用されました。

1985(昭和60)年には、通勤型電車で技術的に優秀な電車を評価するローレル賞(鉄道友の会)を受賞、その性能は折り紙付きでした。

2017年(平成29)3月に廃車となっていますが、この姿に親しみを覚える人も多いはず。30年以上も東京の顔であり続けました。2015(平成27)年に熊本電気鉄道へと一部車両が譲渡され、現在も熊本では現役、多くの人に親しまれています。

関連記事:銀座線の車両が熊本を走る。01系が熊本で愛されているわけ

1927年(昭和2年)の開通から、多くの人を乗せ、時代とともに世代交代していった銀座線の車両たち。は東洋初の地下鉄として東京の街をつないできた歴史を大切にしながら、先端の機能を取り入れ発信する【伝統×先端の融合】を目指して走り続けます。

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