MetroWalker 2017 Summer 夏号
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押上〈スカイツリー前〉駅浅草 飴細工 アメシン 東京スカイツリータウン・ソラマチ店 P.07明治神宮前〈原宿〉駅むす美 P.05MICASADECO&CAFE神宮前 P.10南国酒家 原宿本店 本館 P.13表参道駅セレブ・デ・トマト 表参道本店 P.12桃林堂 青山表参道本店 P.21新宿駅売切御免! 毎日解体 まぐろ商店 P.14稲荷町駅東京松屋インテリア和紙ショールーム・ショップ P.10根津駅東京軍鶏専門店 根津 鶏はな本店 P.13御茶ノ水駅お茶の水 おりがみ会館 P.06小伝馬町駅・三越前駅江戸切子の店 華硝 日本橋店 P.05銀座駅・銀座一丁目駅櫓庵治 東京銀座店 P.07赤坂駅赤坂氷川神社 P.10大手町駅鯖みやま P.15淡路町駅海老専家 神田須田町店 P.15江戸川橋駅小石川テラス P.10国会議事堂前駅日枝神社 P.09神谷町駅・六本木一丁目駅ホテルオークラ東京 P.08銀座駅花ごよみ 銀座楼 P.07銀座スケベニンゲン P.15田原町駅洋菓子 レモンパイ P.21www.tokyometro.jp北千住駅究極のまかない ここのつ P.13場用地としたのが由来。徳川家康はここに鷹狩りに来た際、家臣の内藤清成に、「馬でひと息に回れるだけ駆かけてみよ。その土地を全部与えよう」と告げた。なんと清成は南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷まで走り、馬は疲れ果てて死んだ。こうして清成は20万坪(東京ドーム14個分)の敷地を与えられ、その屋敷跡が現在の新宿御ぎょ苑えんとなった。清成は、江戸の西の守りとして鉄砲隊百人組を預けられた。その組屋敷が、内藤新宿周辺❸❹や、大久保❺(後に百人町と呼ばれた)など、各地に設けられた。 内藤新宿の西端で、甲州街道と青梅街道に分かれる場所は新宿追おい分わけ❻と呼ばれた。現在では、老舗の追分だんご本舗や、新宿追分バス停、追分交番にその名を留めている。 古地図に「三光イン」❼と書かれているのが、現花園神社(花園稲荷神社)。5月末には花園神社例大祭、11月には酉とりの市が名物となっている。 現在はデパートや繁華街で賑わう新宿が、かつては馬が行き交う宿場町だったことを想像しつつ散歩してみよう。右/大正9(1920)年頃の内藤新宿。関東大震災前までは昔ながらの宿場町の風情が残っていた。左/「新宿追分」跡(❻)。追分とは牛馬を追い、分ける場所で、道の分岐点のこと。現新宿三丁目交差点(東からの眺め)。甲州街道と青梅街道に分岐している。左/江戸には「時の鐘」がおおよそ10箇所設置されていたが、天龍寺(❽)の鐘もその一つ。内藤新宿は江戸の外れにあったため、武士が登城に遅れぬようにと他より30分早く鐘が鳴らされた。また、内藤新宿で夜通し遊興した人を家に帰すための「追出しの鐘」ともみなされた。はらしまひろし/歴史・サイエンスライター。日本3D プリンター㈱顧問。古地図・戦前絵葉書蒐集家。NHKの「ブラタモリ」に2回出演し、絵葉書のコレクションを披露する。著書に「東京今昔散歩」(文庫版・ワイド版)「横浜今昔散歩」「百人一首今昔散歩」他(KADOKAWA)や、「骨単」「肉単」(エヌ・ティー・エス)、「美術解剖学レッスンⅠ 手・腕編」(青幻舎)がある。プロフィール03

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