90年でこんな進化が!!地下鉄の「吊り手」の歴史【銀座線デザイン探訪】

地下鉄に乗るときに、自分の肌が車両に直接触れる、数少ない場所があります。それは、各車両に設置されている「吊り手」。恐らくここが、お客様が最も地下鉄に「密着」する箇所、かつお客様の安全に関わる箇所です。これまでにどんな改良がされ、工夫がされてきたのか、今回はそんな地下鉄の「吊り手」の歴史をご紹介します。

初代:日本独自の改良を加えた「リコ式5号」

東洋初の地下鉄である東京地下鉄道1000形に使われたのが、アメリカ製の「リコ式5号」と呼ばれる吊り手でした。リコ式の「リコ」とは、このタイプの吊り手をつくっていたアメリカのメーカーの名前です。

最大の特徴は、バネで跳ね上がるタイプの吊り手であるということ。この独特なリコ式を採用した背景には以下の狙いがありました。

  • バネが跳ね上がり、天井近くに収納されるため、地下鉄車両内を明るく、広く見せることができる
  • 吊り手が鋼鉄製のため、吊り手をにぎる乗客の手が左右に振れ、帽子や眼鏡に接触して落ちたり壊れたりするような不都合がないなど車両の揺れに影響されない

当初の1000形では、車内の明るさを確保すべく、窓を大きくし、網棚も付けていませんでした。使われていないときは窓側に収納される「リコ式」の吊り手であれば、通路は広く確保され、車内が比較的広く見えたのです。

また、当時導入されたものは、持ち手がホーローでつくられていました。同時代の電車・バスの吊り手には、牛革や木・竹・セルロイドといった素材が使われていました。東京地下鉄道は、これらの素材について、「手あかにまみれ、衛生上好ましくない」という分析をし、持ち手をホーロー引きにしたのです。

現在走っている車両にも、リコ式吊り手の雰囲気を感じられるものがあります。2編成だけつくられた銀座線1000系特別仕様車には、地下鉄開通当初の「リコ式」をモチーフとした、「涙型」の吊り手が採用されています。

2代目:大輸送時代に対応した「吊輪式」

リコ式の吊り手は、増備した銀座線の車両、その後の丸ノ内線・日比谷線などにも受け継がれていきました。しかし、時は高度経済成長時代、路線網が拡大し、お客様が増加するにしたがって、リコ式のデメリットが浮き彫りになります。

  • 混雑時に吊り手を離すと、跳ね上がって他のお客様の頭にぶつかってしまうことがある
  • バネが摩耗して壊れやすく、修理に手間がかかる

そこで昭和42(1967)年製造の日比谷線3000系電車を皮切りに、電車の進行方向と同じ向きに吊り下げた「吊輪式」の吊り手を導入しました。これに合わせて、銀座線の車両もリコ式から吊輪式へと順次変更していくことになります。

3代目:人間工学を取り入れた現代のスタンダード「TA型」

昭和40年代、地下鉄はもちろん、首都圏の鉄道各社は、いっそう快適な車内環境を提供することで、高まる需要に応えようとしていました。そのなかで「より握りやすい吊り手」を目指して生まれたのが、レールに対し垂直方向に設置された三角形の「TA型」です。

TA型のTは、東京メトロの前身である帝都高速度交通営団の「T」から、Aは吊り手の製造メーカー、アサヤマの「A」から取られたもの。昭和44(1969)年に投入された東西線用5000系の4次車から、営団独自の吊り手として登場しました。人間工学的観点から設計され、座席に座っている人への照明の当たり方にも配慮をするなど、細かいところにもこだわり、共同開発したものでした。

TA型が導入された年代にご注目ください、昭和44年となっています。そう、吊輪式が導入された昭和42年から、たった2年しか経っていないのです。

リコ式と吊輪式のいいところを折衷したともいわれる「TA型」は、先代の銀座線車両01系はもちろん、今も東京メトロ1000系をはじめとした車両で使われている標準仕様。同様の三角形の吊り手はその後鉄道各社の路線線に波及しました。半世紀近くにわたって愛され続けている「吊り手」のスタンダードといっても過言ではありません。

この90年間、地下鉄の「吊り手」は、安全性、強度はもちろん、照度の低い地下空間を走ることや車内の混雑状況など、さまざまな課題を乗り越えながら進化を遂げてきました。普段、何気なく掴まっている吊り手にもデザインの変遷があり、そこにはたゆみない研究の歴史がギュッと詰まっているのです。

■取材協力
地下鉄博物館
地下鉄博物館では、地下鉄開通90周年を記念して、特別展「地下鉄開通90周年記念展」を行います。

期間:2017年12月2日(土)〜2018年1月28日(日)
場所:地下鉄博物館内

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