稲荷町駅ホームに佇む「伝統工芸品」ができるまで【銀座線デザイン探訪】

2017年12月にリニューアルが完了した銀座線の下町エリア(浅草・田原町・稲荷町・上野・上野広小路・末広町・神田)。この区間は1927年に上野駅~浅草駅間で東洋初の地下鉄として開通した貴重な歴史を活かし、当時の雰囲気から親しみを感じられるエリアとして位置づけられています。

今回は、長屋の面影を残した古い街並みをイメージしてデザインされた稲荷町駅のホームに注目。みなさん、稲荷町駅のホームの壁に「伝統工芸品」が展示されているのをご存じですか? じつはこれ、稲荷町駅のリニューアルにちなんで、駅周辺に工房を構える伝統工芸士の方が制作したオリジナル作品。作品の展示にあたっては、「駅のホームでの展示」という初めてのことに、たくさんの苦労と想いがあったのだとか。
そこで今回は、駅舎のリニューアルデザインとこれら伝統工芸品のデザインディレクションを担当した株式会社久米設計建築設計部の森田純さん、駅のデザインイメージを森田さんとともに考え設計を担当した東京メトロ社員の志村幸男さんが、ホームにディスプレイされている江戸簾、東京銀器の工房をあらためて訪ね、リニューアルの苦労話などを振り返りました。

下町の雰囲気と伝統工芸を取り入れた駅に

「観光、買い物、娯楽の街中にあり、乗換駅でもある上野や浅草と較べると、稲荷町は乗降客も少なく極めて地味。でもそこにこそ個性を見出したかった」と話すのは、デザインを担当した森田さん。東京メトロで設計を担当する志村さんは「他の駅とは異なる個性をどう出すかが課題でした。この街の一番の魅力はなんだろう、と森田さんと街歩きをしながらキーワードを考えました」と振り返ります。

下町の雰囲気と伝統工芸を取り入れた駅に

駅の設計を担当した東京メトロの志村幸男さん

稲荷町駅周辺は、下町風情が色濃く、長屋の面影を残した古い街並みが残っています。森田さんと志村さんで街を歩きながら「このイメージをそのまま駅のリニューアルに取り入れられないだろうか」と、コンセプトが決まっていったそう。

下町の雰囲気と伝統工芸を取り入れた駅に

デザインコンセプトを担当した株式会社久米設計建築設計部の森田純さん

「この街にはすばらしい伝統工芸の職人さんたちが多くいることにも気づきました。それならば、下町散歩の雰囲気をそのまま駅に表現して、伝統工芸品を駅の装飾の一部とすることはできないだろうかと思ったのです」と森田さんは語ります。そして、稲荷町駅のイメージは「長屋のある家並み」、キーワードは「職人の伝統工芸品」に決まりました。

格子戸をイメージした駅構内のデザインを考えながら、森田さんはまず、台東区伝統工芸振興会を訪ね、展示する工芸品の候補が絞られていきました。
現在、稲荷町駅にディスプレイされている伝統工芸品は、江戸簾・東京銀器・江戸手描き提灯・江戸指物・江戸切子・江戸つまみ簪・江戸木目込人形・江戸べっこうの8品目。長屋をイメージした、格子戸に囲まれたスペースに設置されています。
「駅のホームは実際はまっすぐではなく勾配もありますし、振動や風も大きいので、物の展示は想像以上にたいへんでした。設計段階では気づかない問題を、現場で考えながら解決していく感じでしたね」と、志村さん。
また「駅のホームでの展示」という初めてのことに、職人さんにとってもたくさんの苦労と想いがありました。

型抜きの文字をより美しく見せるために(江戸簾・田中耕太朗さん)

型抜きの文字をより美しく見せるために(江戸簾・田中耕太朗さん)

稲荷町駅に展示されている「江戸簾」を制作した、田中製簾所の田中耕太朗さん。

田中製簾所は、明治初年から続く「江戸簾」の老舗。簾の歴史は古く、万葉集にも登場し、平安時代には宮廷や貴族の屋敷、神社、仏閣などで、間仕切りや日よけに用いられてきました。やがて江戸の繁栄とともに、江戸にも御簾師が登場し、江戸簾は庶民の生活にもなくてはならない物になりました。浮世絵にもしばしば描かれています。
 竹などの素材を細かく均一に割り、一本一本手で編むという、手間を惜しまない作業から生まれる簾。田中製簾所は、そんな手仕事を現代に伝える数少ない工房です。五代目で東京都伝統工芸士である田中耕太朗さんは、先代の田中義弘さん(台東区伝統工芸振興会会長)とともに、伝統の技を守りつつ、現代の生活にもマッチするデザインの製品を提案しています。

型抜きの文字をより美しく見せるために(江戸簾・田中耕太朗さん)

耕太朗さんは、東京メトロの今回の企画を最初に聞いた時、「簾を取り上げてくれることも含め、下町の伝統工芸に注目してくれたことがすごく嬉しかった」と言います。
「簾で何かできないか、と言われたら、職人魂に火がつきますよね(笑)。できるだけ応えたい、期待以上のものを作りたいと思いました」。
 今回の最初のオーダーは、「いなりちやう」という駅名と東京メトロのマークを抜いた「型抜き簾」です。文字や家紋を抜く簾で、高度な職人技が必要とされます。
「最初は技術的なことがまったくわからなかったので、様々な表現技法をみせていただき、それを元に江戸文字に近い文字での駅名と、東京メトロのロゴを型抜きとして表現するデザインの原寸型紙を作って、田中さんに渡したんです」とは、森田さん。

型抜きの文字をより美しく見せるために(江戸簾・田中耕太朗さん)

「型抜き簾」の工程は、「割った竹で一度普通にすだれを編み、型抜きする部分に印をつけ、ほどいてから1本ずつ小刀で抜く部分を削り、また順番通りに編み直す」という時間と手間のかかる作業です。「竹の割り方、並べ方にもいろいろ技があって、長く展示して経年変化を考えると、変色しにくい竹の表面が出るように並べる方がいいのだけれど、そうすると文字などを削った時に割れた場合の差し替えが難しい。いろいろ試行錯誤しました」と耕太朗さんは語ります。

型抜きの文字をより美しく見せるために(江戸簾・田中耕太朗さん)

「文字は少し変形しても全体のバランスで調整できるけれど、メトロのマークは、さすがに変形できないからねぇ。それが一番大変だったかなあ」(田中耕太朗さん)

稲荷町駅に展示されている江戸簾。

稲荷町駅に展示されている「いなりちやう」という駅名と東京メトロのロゴマークの施された型抜き簾。

 駅での実際の設置の課題は、固定方法と光の当て方。簾は本来、風や光に揺らぐのが魅力ですが、地下の振動のある駅構内で、ガラス張りの中に設置しなければなりません。ホーム内は実はかなり制約のあるライティングで、しかもずれないようしっかりと固定する必要がありました。簾が美しく見える最適な位置やアングルを工夫し、ほこり対策も配慮しなければなりません。設置工事の現場には、耕太朗さんも参加したそうです。
「ただ納品するだけでなく、よく使ってもらうまでが"ものづくり"なので、この目で見たかったんです。終電が終わった深夜12時半過ぎからリニューアルの工事や作業が始まるのですが、そんなふうに深夜に地下で働いている方々を見たことはなかったですから、感動しました」。

耕太朗さんが東京メトロに期待するのは、「最新のテクノロジーをもつ会社が、街と伝統工芸をつないで、広く伝えてくれるということ」だそうです。「街に一番近い地下鉄」である銀座線が、その期待を今回のリニューアルでひとつ果たしたと言えそうです。

近年、簾も安価な大量製造品や輸入品が増え、手づくりの物は少なくなっています。「江戸の粋」を感じる本物の簾の魅力を、ぜひ稲荷町駅で発見してください。

メトロのマークを最大限に活かしたかった(日伸貴金属・上川宗照さん)

メトロのマークを最大限に活かしたかった(日伸貴金属・上川宗照さん)

稲荷町駅に展示されている「東京銀器」を制作した、日伸貴金属の上川宗照さん。

次に訪ねたのは、日伸貴金属。江戸時代の銀師(しろがねし)と呼ばれた銀職人の技術を現代に受け継ぐ、「東京銀器」の数少ない工房であり、伝統工芸士の上川宗照さんとその家族が力を合わせて銀製品を製造しています。

日本の銀製品の歴史は、奈良時代にまで遡りますが、庶民に広まったのは江戸時代。東京・銀座は、江戸時代に貨幣の鋳造所があり、銀職人である銀師が全国から集まる、重要な銀器の生産地でした。それが東京銀器のルーツです。

メトロのマークを最大限に活かしたかった(日伸貴金属・上川宗照さん)

銀は、銅や鉄に比べて柔らかく加工しやすいため、装飾品なども自由に造形できます。一枚の銀板を鎚で打って鍛え、造形し、表面の加飾を行います。模様つけ用の金鎚を使いて、丸鎚目(まるつちめ)、ござ目、岩石目などの模様をつけたり、象嵌という彫刻を施す技法があります。酒器から装飾品まで、さまざまな物が作られますが、今回のプロジェクトでの依頼は、花器でした。

メトロのマークを最大限に活かしたかった(日伸貴金属・上川宗照さん)

「依頼を受けたとき、大きさとイメージはわかったけれど、どんなデザイン、模様にしたらいいのだろうと悩みました」(上川宗照さん)

まず、模様をどうするか、設計チームと頭を突き合わせての打ち合わせが始まりました。「普通は、花や鳥を模様にすることが多いのですが、東京メトロのイメージを表現したいという要望について初めは具体的なイメージを持てなかった」と宗照さん。
作品のどこかにメトロのロゴや銀座線のGマークを入れて欲しいという東京メトロ様からのリクエストがあったが、宗照さんと話をしていく中で、これらマークを模様にしたらどうかと思いついた森田さんは、ロゴをリピートして並べることで「江戸の小紋柄のような」模様をデザインしました。ここでは2種類の原寸型紙を提示し、作り手である宗照さんが、頭に描いた大きさを選択、そのデザインを実際に銀の板で試作をし、最終的な模様が決定。製法と仕上げは勿論、宗照さんにお任せました。

メトロのマークを最大限に活かしたかった(日伸貴金属・上川宗照さん)

「デザインが決まってしまえば、あとは作るだけ。時間もたっぷりあったし、なかなか良いものができたと思っています」と宗照さんは笑顔を見せます。

散りばめられたメトロマークが、ロゴとして主張するのではなく、花模様にも蝶の模様にも見えてくるから不思議です。熟練の職人の手による、まさにいぶし銀の輝きに風格が漂います。

稲荷町駅に展示されている銀器。

稲荷町駅に展示されているメトロのロゴが散りばめられた銀器。中央には銀座線を意味する「G」のマークも。

「メトロのマークがこんな風に模様になるなんて、想像以上でした。美しいですね」と、志村さんがうれしそうに語れば、「こういう柄はやったことがなかったから、楽しかったですよ」と宗照さん。

宗照さんも、ご長男の宗伯さんとともに設置の工事に立ち会いました。「心配性なんでね」と宗照さん。広嗣さんは「違う職場を見ることなんてなかったですから、それぞれのプロが力を出し合っている現場を見ることができたのは、貴重な経験でした」と話してくださいました。

子どもも大人も見やすい高さに設置し、また、銀は空気中の硫黄分と結合して色が変わっていくため、できるだけ密閉された空間にするなどの苦労もありました。銀器のもつ美しさを最大限に引き出す展示を目指しました。

宗照さんは、「東京メトロのような企業が、伝統工芸の小さな工房と一緒になにかをしようと言ってくれたのは、ほんとうにありがたい。手間をかけて作っても、知ってもらい、使ってもらえなければ意味がないですから」と語ります。

稲荷町駅で乗降する際は、ぜひホームのディスプレイをのぞいて、日本の誇りである「伝統工芸の技」に触れ、暮らしの中であらためて大切にしたい「手の温もり」を感じてみてくださいね。

■取材協力
田中製簾所
日伸貴金属
株式会社 久米設計

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